人々の親切に感動し、体力の限界に挑戦した3000㌔の旅
ドナウ川サイクリングNO.2 行程地図
ドイツ、ドナウ川の源流、ドナウエッシンゲンからオーストリア、リンツ迄の820㌔を一緒に走った妻をフランクフルト空港に見送って、午後の特急でリンツ駅に降り立つと、夕方の気温は半そででは寒いくらいでした。
サイクリング再開
翌7月7日、ドナウ川河口の街、ルーマニアのスリナを目指して、勇躍、サイクリングを再開しました。朝の気温は13度、関西の3月中旬ごろの気温でしょうか、日陰では寒いくらいです。こんな肌寒さなら真夏も大したことはなかろう、と早や合点したのですが、後程、内陸性気候の東欧で連日40度を越す炎天下の中を走る羽目になろうとは思いもつかないことでした。
両岸に広がる美しい風景
昼過ぎグレインの街で一休み、スイスに住むというドイツ人サイクリストと話が弾みました。パッサウからウイーン迄5日間の旅行社企画のサイクリングツアーに参加しているとのこと。自転車は旅行社が用意してくれ、ルートや宿泊地も決まっており、身の回り品だけ持って参加したそうです。「日本からわざわざ自転車を持ってこなくてもこのような企画に参加するのが手軽で好いですよ」と言っていましたが、ドイツ仕様の自転車は頑丈ですが、私には重いのです。
ドイツではサイクリングがとても盛んでした。リタイアー後、夫婦連れでサイクリングを楽しんでいる人々も多く、車と併用すれば時間も節約でき、行動半径も全ヨーロッパに広がります。勤めの有る人々も休暇は1か月程も取れると聞いて、日本も早くこのようになって欲しいと、うらやましい限りでした。
夫婦で手軽にサイクリング
家族そろってサイクリング
7月8日昼、メルク到着。丘の上のメルク修道院が青空に映えて大変美しい。大勢の観光客がレストランで昼食を賑やかに楽しんでいるのを見ると、こちらまでなんだか楽しくなります。メルクの街を散策し、バロック調の美しさを堪能して、今日の宿泊地シュピッツに向かいました。
バッハウ渓谷の館
美しいメルク修道院
シュピッツの観光案内所の係員は親切で、町の入り口にある、ガストハウスを朝食付き30€(約3400円)で予約してくれました。
水を買いに行ったスーパーの前で、1輪車を連結した、若いサイクリストが食事中。オーストラリアの青年で、休暇を利用してデンマークのコペンハーゲンからウイーン迄の計画で、夜は持参のテントに泊まるという。この様に、自転車や徒歩で、1か月以上も旅をしている多くの若者たちに出会いましたが、肝心の日本人の個人旅行者と言えば、女性が殆ど。インドからバスを乗り継いでパキススタン、イラン、トルコを経てヨーロッパに入ってきた、つわものの信州大の女子学生なんかにも出会いましたが、若い男性には殆ど会えず、断然、女性優位を痛感しました。
ウイーンには7月10日に到着しました。
さすがこれまでの街と違って人口175万人の大都市。昼前にはウイーン市内に入りましたが、とても大きい街に圧倒されました。南駅の近くに予約してあるホテルの道を、尋ねながら2時間ほどもかかってやっと到着しました。
ウイーン、オペラ座界隈
ウイーンはご承知の通り芸術と音楽の街、街の至る所に辻楽師や学生の管弦楽器による音楽の音色が聞こえてきてとても楽しい。人々は惜しみなくコインを弾み、音楽を楽しんでいました。少年合唱団の練習?にも出くわし、ボーイソプラノの美しいハーモニーに、路上に置かれた野球帽はコインや紙幣でたちまち一杯になりました。
美しいボーイソプラノの歌声に人だかり
帽子の中はたちまち一杯に
バイオリンを弾く楽師の前のケースにそっとコインを入れたとき、「Have a nice day!」と堂々とした声が忘れられません。彼らは音楽で人々を楽しませる、街角エンターテイナーなのだとわかりました。正に文化でもあろうかと思います。宿泊したホテルの窓からは朝夕2頭立ての観光馬車が行き帰りする、その軽快でリズミカルな蹄の音が石畳の道から響いてくるのでした。
美術館巡りは帰りにしようと、1日の市内観光の後の7月12日の朝、ウイーンを出発しました。映画「第三の男」で有名な観覧車の公園の近くのプラター大通りでは、乗馬服に身を固め、栗毛や葦毛の馬に跨って颯爽と軽速歩で駆ける姿がとても美しく、若い女性なども見かけ、日本の町では見られない優雅で美しい風景に、彼らの歴史の厚みを感じました。
ウイーンの町を出て、スロバキアのブラティスラバ迄行くというドイツ人のグループに加わって走行を続けました。ふと前方を見ると全裸の男性が2人、向こうから歩いてくるではありませんか。「エエッ⁉」と思ってふと右下のドナウ川岸に目をやると、遠目に裸の男女が数組、チラッと視界に入ってきました。ああこれが噂に聞いていたヌーディスト村かと思い、思わず前を走っているドイツ人達を見ると、何事もなかったように淡々と走り続けています。見とれる間もなく、慌ててペダルに力を入れて追いかけたのでした。
ダムで水位を調整、大型船の航行も可能に
水位調整中の為に注水中のダム
7月13日の朝、スロバキアの首都、ブラティスラバのホテルでは久し振りに日本人夫妻に遭い、出発前のひと時、心置きなく日本語での会話を楽しむことが出来ました。東京から2週間の休暇でスロバキア各地を回って、その日ウイーンから東京に戻るのだそうで、民族舞踊などこの地の文化に詳しく、いろいろ教えて貰うことが出来ました。1人旅になって1週間、母国語が離せないということが、意外とストレスになるのだと感じました。おかげで、元気をもらいました。
ブラティスラバ城を見ながらの走行
7月14日、人口3万5千人ほどの中核都市コマールノに着きました。まずは宿の確保と道行く人に尋ねても、此れまでと違って反応がない。こちらの問いかけを無視する婦人もいて困りました。しかも、道行く人が少ないのです。仕方なく、勘を働かせて、思しき方向へ行くと、Pensionの看板、それの指す方向へ行くと、この辺りにもドイツ人旅行者が往来していると見え、Zimmer Frei の看板。早速、門をたたいて1泊朝食付で35€(約3900円)の2階の部屋を借りることが出来ました。
日本で今はやりの民泊です。今日は他に宿泊者がなく、シャワーやキッチンの備わっている二階は私一人の独占です。一階は経営している夫婦二人の居室。敷地は200坪以上あるでしょうか、南面の庭には中央にモクレンやモモ、そしてリンゴの木、周辺にはバラやほかの花が咲き誇っていて芝生も手入れが行き届いている奥さんの自慢の庭でした。
子供は娘さん二人だそうですが、ドイツ、パッサウとイタリア、トリノで働いているそうです。EUの理念は人、モノ、金、サービスの移動が域内国、自由なので、多くの若者がドイツをはじめとしたEU各国に働きに行っているようです。ホテルでは味わえない地元の人々の生活ぶりがうかがえ、このようなスタイルの宿泊形態は日本でもきっと人気が出ると思いました。
スロバキア、コマールノの民伯の奥さんと
コマールノの街中風景
7月15日、上がりっぱなしで無用になった遮断機の国境を越えて、スロバキアからハンガリーへ入国、エステルゴムに着きました。丘の上の美しい城や、宮殿を観光していて、何気なくポケットに手を入れて、昨日泊まった部屋の鍵を持ってきてしまったのにハタと気づきました。大慌てで電話をすると、「今日、宿泊者はいないので郵送してくれればよい」とのこと。平謝りに謝り、翌朝一番に郵便局から送り返したのでした。
EU加盟により無用になった国境の遮断機
信号が要らない円形交差点に翻るハンガリーの国旗
ホテルのレストランで、オーダーを取りに来た中年のボーイから、何と、流暢な日本語が出てきたのです。半ば驚いて、どこで覚えたのかと聞きますと、「ススキハンガリー」でという。ソ連崩壊直後、エステルゴムに工場進出して、1992年から生産しているのだそうです。そういえば道中、スズキの車や販売店が目につきました。現在の、この国の民力が丁度軽自動車に合うのだろうと思いました。
関西のダイハツと違い、今まであまり身近には感じていなかったスズキですが、異国で頑張っている日本車にはとても好感と親しみを覚えます。この後、ハンガリー国内で、行きかう車にスズキ車を頻繁に見かけるにつけ、スズキのイメージは私の胸中に広がっていき、鈴木修社長(当時)の経営者としての先を見る確かな戦略眼に敬服しました。
馬車もまだ現役です
一面のひまわり畑の中を走る。
イタリア映画、ソフィアローレン主演の「ひまわり」の冒頭の場面のような、一面のひまわり畑の中を走ります。自転車専用道も俄然少なくなり、一般道を車に注意しながら走ります。ブダペストに近づくに従い、のどかな風景は事務所や住宅に変わって、交通量もだんだん多くなってきました。フルスピードの車に交じっての走行は緊張の連続です。ブダペストもウイーンに劣らず、人口174万人の大都会です。ブダ地区のホテルに着いたのは町に入って大方2時間を経過していました。ドナウ源流から1,355kmの走行距離でした。
ブダペスト郊外の分譲地、かつての日本でもおなじみの光景
予約の時「少し高いな」(72€、約8100円)と思っていたホテルの部屋は、寝室と広いリビングダイニングの2部屋。風呂と洗面所トイレは廊下で隔てられ、ミニキッチンもあり、おまけに冷蔵庫のドリンクはフリー。日本のホテルとくらべると割安感があってとても気にいりました。そして長旅の疲れを癒すのには充分なホスピタリティがそこにはありました。
ゆったりしたホテルで旅の疲れを癒す。セルフタイマーでの撮影ですゾ。
左がブダ地区、右がペスト地区
翌日、観光に街に出ると、兎に角暑いのです。観光客はアイスクリームをなめながらの観光。散水車が街の石畳の道路を走り回っていました。炎天下、国会議事堂の入口には入館を待つ長蛇の列、泣く泣く豪華絢爛の議事堂内部の見学は諦めました。二階建ての乗り降り自由の赤い観光バスからの街の眺めはとても素晴らしく、さすがドナウの真珠と言われるだけのことはあります。この国のこれまでの波乱に満ちた歴史に想いをはせながら観光を楽しみました。
王宮の丘からのペスト地区の遠景
イルミネートされた国会議事堂の夜景
ブダペスト国会議事堂
夕方、ホテルで紹介されたレストランに近づくと、1台の車が止まり、屈強な4人の男達が降り立ちました。なんと、このくそ暑いのに全員黒のスーツにネクタイ。そして目にはサングラス。異様なその姿に、思わずその筋の人のハンガリー版か?と一瞬たじろいだら、なんと目当てのレストランに入っていくではありませんか!恐る恐る入って行き、案内された席に座ると、彼らはすぐ目の前。その前には楽器が!なーんだ、楽師たちだったのです。
食事も進み、「何かリクエストはありませんか?」という流暢な日本語に、ジプシーの旋律が入っているという「チゴイネルワイゼン」をリクエストしました。ブダペストで生のチゴイネルワイゼンを聞くことがこの旅の一つの目的だったのです。バイオリンの音色が心地よく美味しいトカイワインのほろ酔い気分の心に響いてきました。そしてハンガリー民族ダンスにブダペストの夜は更け、マジャールの夜を満喫したのでした。
チゴイネルワイゼンをリクエスト
ジャール民族ダンス
ブダペストまで以上
文、写真:商学部44年卒 夏目 剛