地中海サイクリング
商学部 S44年卒 夏目 剛
トルコ・ギリシャ・一期一会の旅
地中海サイクリングの旅も3年目となり、最後の行程を走る年となりました。
今回は南廻りの航空便を利用したので、東のイスタンブールから西のギリシャのパトラに向けて走る、何時もとは逆の行程を組みました。
今回のトルコ、ギリシャの旅では、道中での人々とのふれあい、又彼らから受けた親切なもてなしに一期一会の心を一層感じ、感謝の気持ちと共に、自らもそうあるべきと心から思った旅でした。
ギリシャ・アクラタ海岸にて

地中海サイクリング行程地図

関空出発

4月25日の午後11時45分発の南回りのカタール航空でイスタンブールに向かいました。機中では聖地メッカの方向が定期的に示されます。アラビアの民族衣装をまとった旅客も乗っており、又乗り継ぎ地のドーハでは、目だけを出した真っ黒なイスラム衣装の女性検査官に、今迄は何ら問題がなかった食事用のナイフを無言で没収され、イスラム圏だとつくづく意識させられました。

メッカの方向を知らせる画像 イスラムの女性たち

イスタンブールにて

翌朝5時、スピーカーから聞こえてくる突然の大音響にびっくりして飛び起きました。何事かと思うと、近くのモスクから聞こえてくるコーランの声。初めての音にとても驚きました。
ブルーモスクへ向かうトラムの中。乗ったトラムの行き先が間違ってないかと尋ねた人は、この3か月間インドネシア迄航海して帰って来たばかりの、外国航路の3等航海士でした。「トルコの印象は?」と聞かれて、「グッド」と答えたら、「金次第だからネ、気を付けるように」とのアドバイス。成程、有名なブルーモスクの近くでは若者にいろいろ親切そうに声をかけられました。まず「どこへ行くのか?では案内してあげよう。」そして道中、「何泊滞在するのか?」「明日の予定は?」「明日時間があれば観光地を案内してあげますョ。」などと親しげに話しかけてきます。挙句の果てに、「絨毯屋、金細工店に親友がいるから、一寸のぞいてみませんか?」などと言葉巧みに誘ってきました。トラムの中の彼の言った通り、注意が必要でした。

 
観光客で賑わうブルーモスク

   モスク内では半ズボンはご法度

バザール風景

割礼式のお祝いに

オチンチン痛いけど我慢 ベリーダンスショウ

サイクリング開始

4月28日、イスタンブールを出発、幹線道路は、かなりの交通量。すぐ側を車が高速でビュンビュン追い抜き、一寸接触でもしようものならたちまちあの世行きです。一度は大型トレーラーが猛スピードですぐそばを通り過ぎ肝を冷やしました、トレーラーはしばらく行って停車し、運転手が下りてきてしきりに話しかけます。言葉は皆目わからないのだけれども、「大丈夫か?」と言っているようなので「OK.OK!」と言って走り出しました。トレーラーなどの大型車に猛スピードですぐ側を追い抜かれること程怖いことはありません。追い抜かれる一瞬、風圧で自転車ごと右斜め前方にフッと押されます。そして抜き去られた時、今度は車の方へ吸い込まれます。その一瞬、ハンドルを握る右手に力を入れ操作して方向を定めなければなりません。横風の中を走っているときは風に流されまいと元々手に力が入っているので、猶更呼吸が必要です。この恐怖交じりの緊張感はトルコとフランスでたっぷり味わったものでした。

交通量の激しいイスタンブール市内 サイクリング初日の朝

緊張の連続に、喫茶店で休息。紅茶(0.5TL約75円)が乾いた喉にとても美味しい。店の若い衆や客がしきりに話しかけてくるのですが、皆目わかりません。アテネ迄行くことを地図や身振りで伝えると、親切にも紅茶をおごってくれました。

トルコの人たちはとても親切

その日の目的地シリウリの街中に入ると、あまりの混雑に自転車を押して歩く羽目に。映画などで見るアラビアの街特有のあの雑多な混雑ぶりです。ある店でホテルの場所を聞くと、店主らしき人が若い店員にホテルまで案内するよう言い付け、お陰で難なく行きつくことが出来ました。又、他日には、中年の紳士がホテルに電話をしてくれ、ボーイを迎えによこしてくれたりもしました。この様に、他の国とは一味違ったとても親切な対応に感激しましたが、イスタンブールの商魂たくましい若者達との違いに驚きもしました。
2日目のタキルダでの夕食時、レストランで何気なくビールを頼んだらアルコールは「ノー」。そうだここはイスラム圏なんだと気が付いた次第。又、他日には、缶ビールを店の奥から持ってきましたが、缶ビール2本で12TL(900円)、食事は6TL(450円)と安く、外国人にはアルコールを提供しても、値段が高い印象を受けました。


ギリシャ入国

イスタンブールを出発して5日目にギリシャとの国境にやって来ました。これまでに通過したどこの国境よりも厳重な警備でした。国境の道路もコの字型で、防弾チョッキを着て自動小銃を持った兵士が角々で守っています。緊張感のある国境を通過して、両国の関係が良くないのだとピンときました。実際、アテネの手前ティーベの街で出会った、日本語の堪能なA氏によれば、「日本はトルコと友好的ですが、我々は敵対しています。」と顔をしかめていました。毎日のようにトルコ空軍が領空侵犯してくるとか。又アテネの国会議事堂の衛兵交代は観光客にとても人気ですが、そのスカートの襞は400本あって、オスマントルコの圧政400年もの歴史から独立した民族の苦しさと誇りの象徴だという、筋金入りのそんな生々しい話を聞いて「ぼーっと、生きてんじゃねーよ!」と今なら、チコちゃんに叱られること間違いなしです。


テッサロニキ訪問

ギリシャ第二の都市、テッサロニキには、5月8日に到着しました。夕方、警官に教えてもらったタベルナ街に来て、さてどの店で食べようかと、品定めをしていたら、若い女性の店員に日本語で「いらっしゃいませ!」と声をかけられました。おばあさんが日本人で、日本とギリシャ人とのクオーターとのこと。タベルナの店長と結婚して1歳の女の子がいます。ここでも偶然の出会いが、私の旅をとても豊かで実りの多いものにしてくれました。

テッサロニキへあと12キロの案内板

A氏夫妻と共に

タベルナの楽師たちと

勧められるままにギリシャ各地のワインを飲んで、気持ちよく酔っ払い、ホテルに帰ってバタンキュウ。翌日は夕方から、大学2年の彼女の妹も加わり、主人の知人に何人も紹介されて、レストランの看板時刻までとても楽しく会話が弾みました。店の看板後、主人の運転するトヨタ・チェイサーで街の夜景を一望する観光スポットに案内してくれました。更に次の日には午後から姉妹で、数々の観光名所、そして船からの美しい街の眺め等、通り一遍の観光では到底味わえなかっただろうテッサロニキの魅力を存分に案内してくれました。NHKのテレビ番組、「世界触れ合い街歩き」のように、地元の人に誘われ、「本当にいいんですか?」と言い乍ら家の中に入っていくあの心境でした。テッサロニキの街は、クオーターの姉妹とその主人との思い出と共に、忘れ難い街となりました。

A氏夫人のHさんと妹さんのガイドで街巡り

案内された本屋のアニメコーナーで

 
街のシンボル、ホワイトタワーを海から眺める     Hさん自作のイラストをお土産に

一路アテネへ

オリンポスの山々を右手に見ながら、快適にサイクリングを続けました。山の頂は白く雪に覆われています。成程、神々が宿ると言われるほどの神聖なイメージです。

神々の宿るオリンポスの山々 オリンポスの山々を眺めながら走る

ティーベの出会い

アテネに近づいたティーベの街では、またもや出会いがありました。ホテルの場所をとある店で尋ねたところ、後ろから男性が流暢な日本語で話しかけてきて、ホテルまで案内してくれることになりました。その道すがら、聞いたところの話では、かつて3か月間日本に行き、いったん帰国、更に京都の日本語学校で1年間、新聞配達をしながら、日本語を学んだ日本大好きギリシャ人です。ホテル到着後、このまま分かれるのも残念なので食事に誘い、結局5時間ほど彼と日本語で話す貴重な機会を得ました。
ヴェニスの大学で日本文化を研究し、合気道、弓術、忍法、習字などもかじったそうで、礼儀正しく、年長の私を立ててくれ、豊富な知識をひけらかすこともせず、私よりもずっと日本人らしいと思いました。言葉はギリシャ語、イタリア語、日本語に英語が話せ、韓国語も少しかじったそうです。そんな31歳の大卒の彼が、ギリシャ資本のスーパーの冷凍部門の店員で月給は580€(当時の日本円で77,000円程)。厳しいギリシャの現状でした。ティーベに来る山道で道に迷って到着が遅くならなければ、たまたま通りかかった彼とも遭遇しなかっただろうし、彼との出会いは偶然の賜物ではなく、何か見えないところで力が働いていると思わざるを得ませんでした。正しくオリンポスの山々に宿る神々のお引き合わせだと思いました。

日本語の堪能なA氏と共に アテネへの山越えは大変

アテネの出来事

さて、アテネに着いたのは5月23日。イスタンブールを出発して26日目、1,320㌔の走行でした。ここで3泊して休養と、パルテノン神殿などの遺跡をはじめアテネ観光をしました。夜はティーベの彼に教わった、日本料理店「風林火山」で久し振りに本当の日本の味を楽しみました。

観光客に人気のアテネの国会議事堂を守る衛兵の交代式

衛兵の交代式2

パルテノン神殿を背に

アテネ市街を一望して

街のいたるところにある遺跡

アテネの市場風景

風林火山の握りは日本の味

焼きナスに冷ややっこでビールが美味い

アテネのデモは穏やか 警備の警官も手持無沙汰

土曜日の午後、ホテルに帰る途中、赤信号で待っていたら、スペインから仕事で来ているという中年の男が英語で声をかけてきました。「ソニーや日立の株を持っている」と、割と詳しく日本株のことについて話しました。「ソニーか日立の株を買い増そうと思っているが、どちらが良いか相談に乗ってくれないか?自分の泊まっているホテルのすぐ前のカフェでコーラをおごるから相談に乗って欲しい」と言われて、一寸眉唾ものだなァ?と思いながらも話の種にと思い同行しました。道中、ファナックがどうだとか、ソニーは良くなるとか、日立がどうだと日本株のことを聞きながら行った店は、問題のありそうな店構え。これは怪しいとピーンと来ましたが、好奇心もあって中に入ると案の定女性が二人。気の抜けたコーラを出してきて、カクテルを飲みたいと言ってきたので「私は酒を飲まないから、飲みたければ自分でご自由に」と断った。しばらくすると、また別の女性が酒をおごれと来たので、ぴしゃりと断って、コーラはいくらかと尋ねると、普通の3倍近い8€(約1060円)記載のメニューを出してきました。カクテルは軒並み40~50€(約5300~6600円)。典型的なぼったくりバーです。一瞬、ごねようかと思いましたが、多分怖いお兄さんが出てくる筈なので、ふくれ面で8€払ってさっさと出てきました。くだんの男を見ると自分の役目は終わったとばかりの涼しい顔。でも彼の話すソニーや日立の株は、皮肉にもその後、当たっていました。
ホテルのすぐそばで、また声をかけられました。今度はスイス。時計のローレックス社勤務で東京の赤坂に4か月いたことがあるとのこと。ポケットからそれらしき時計をちらっと見せて。どうも一人歩きの日本人男性はカモの様です。とんだ一期一会の出会いでした。

アテネで宿泊のホテルのレセプション 危うく難を逃れた、ぼったくりバーの店

旅の終着地パトラに向けて

5月26日、日曜日の早朝、アテネを出発、運河で名高いコリントスを経て、イタリア行のフェリーの発着するパトラに到着し、再びアテネ迄引き返して、イスタンブールからパトラまでのサイクリングは無事終わりました。

名高いコリントスの運河 運河を行くヨット

これでポルトガル・リスボンから、地中海沿いにトルコ・イスタンブールまでの約5,400㌔のサイクリングが1本の道として繋がって、地中海沿いの風景や生活文化、そして様々な人との出会いが、私の心に深く刻まれたのでした。

サイクリングの終着パトらの港に到着 イタリア行きのフェリーの前で

特に今回のトルコ・ギリシャの旅では、偶然の出会いがいくつもあって、それが私の旅の幅と奥行を更に深め、見聞を広めてくれました。又、多くの人が手を差し伸べてくれたお陰でサイクリングが続けられもしました。さすがは観光立国のギリシャ。宿泊したホテルでも思った以上のもてなしをしてくれ、それは大きな満足感となって、「もう一度来てみたい」と思わせる観光産業のツボが分かったと思いました。
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