地中海サイクリング
商学部44年卒 夏目剛

イタリア・夫婦二人旅

ドナウ川サイクリングを終えて、今度はリスボンから、イスタンブール迄を走る計画を作成していたら、妻が「今年も行きたい!」と言いました。

それなら、ニースからローマ迄の風光明媚な観光地がベターと、リスボンからニースを後回しにして、ニースから地中海サイクリングを先にスタートすることにしました。
飲む温泉モンテカチーニにて

妻の体力に合わせて、山間部や交通の激しい国道は、並行して走っている鉄道に切り替えれば良い、又その部分は後ほど一人で走ることも考えて、フランス・ニースからイタリア・ローマまでの行程をリスボン~ニースに先駆けて、妻と一緒に再び走ることにしました。(前版のリスボン~ニースよりも1年前の旅の内容です)


ニース到着

4月25日、午前9時40分発のルフトハンザ機で関空を出国。フランクフルトを経由し、現地時間の25日18時過ぎにニース空港に降り立ちました。機中では、「いよいよフランス語の出番だ」と、空港からホテルへのシャトルバスを尋ねる会話を手始めに、あれこれと寝不足の頭でフランス語の予習です。
60歳を過ぎて3年間、高い月謝と時間をやり繰りして仕事帰りにフランス語を学び、学生時代のサイクリング時にフランスで身にしみて味わった彼らの英語嫌いに備えていたのです。到着後、案内所で少し緊張しながら、「Ou est el shuttle bus stop pour …」とフランス語で話しかけたら、中年女性は「そこの電話でホテルに電話して迎えにきてもらいなさい。10分くらいで来るから。」と即座に英語がかえってきたのでした。「なんーや、英語が通じるんや‼」彼女の英語を聞いた途端に、「60の手習いの付け焼刃」は、まるで砂浜に打ち寄せた波が,スーッと消えていくように私の頭から引いていったのでした。やがて迎えに来た黒人の姉ちゃんも流暢な英語を話し、大上段に身構えていた私は全く拍子抜けです。もう下手くそでも英語1本で行くことにしました。


二人サイクリング出発


さて翌日は、妻と二人海岸沿いのプロムナードザングレを走り、足慣らしです。快晴の真っ青な空と南仏特有の明るく美しい街並に妻は大満足です。海岸にはもう水着姿の人たちもいて、ハーバーには、日本とは桁違いの豪華なモータークルーザーやヨットが所狭しと停泊しています。豪華なヨットで自由な時間を満喫しているこちらの富裕層たちは日本とは桁違いだと、感じました。

 美しいプロムナードザングレの街並み

広く美しい海岸を背景に

 北に広がるニースの生活の街並み

富裕層の大型のクルーザーが所狭しと


美しいリヴィエラ海岸


翌28日、旅装を整えいよいよ出発。コートダジュール、リヴィエラ海岸を5日かけてジェノバ迄走りました。モンテカルロ、マントン、サンレモ、インぺリア、サヴォナはご承知の通り世界有数の避暑地です。それらの街の景色は噂に違わずとても美しく、それが醸し出す雰囲気にどっぷり浸りながらの楽しい夫婦二人旅です。しかし街を出ると登坂が続き、妻は重い荷物に閉口し、再三押して歩きました。峠で一休みしてしばし美しい景色に見とれ、下り坂を一気に走って次の街に入ります。こんなことを繰り返しながら、5月2日の昼過ぎ、ジェノバに着きました。

 モンテカルロの街を見おろす峠で

リビエラ海岸の公園で

妻の自転車がパンク

パンク修理


ジェノバ到着


この街は、ご承知の通り、中世のジェノバ共和国以来、商工業、金融業の中心地として発展、現在ではイタリア最大の貿易港として繁栄しています。一方、街には中世の面影も残り、此れまでの風光明媚な観光地と違い、日常生活の匂いがして、エネルギッシュな大都会のボリュームを感じました。

 
ジェノバの港で

                 ジェノバの街角で

ラ・スぺッィアへは鉄道を利用

切符売り場のストを知らせる通告


ピサの思い出


ピサは中世海洋国家としての華々しい歴史を持っていますが、現在は人口約9万人の小さな町です。ピサ大聖堂や斜塔は、大勢の観光客で賑わい、5月の真っ青な空に白亜の大理石の建物が生えて大変美しく、小学生のころからの夢を果たしてとても満足しました。
此処でサイクリングを一休み、鉄道でフィレンツェ観光をすることにしました。

飲用温泉モンテカチーニにて

ピサ・ドゥオーモ

                   ピサの斜塔

斜塔内部の階段はすり減って

街のラッシュ時の交差点は、バイクが我が物顔に群れを成しており、青信号に変わると爆音とともに、一斉にスタートする様は壮観でした。
又ここに限らず、地方の街では、午後2時になると今まで騒々しくにぎわっていた街中も昼休みでパタッと急に死んだように静寂が訪れます。そして4時になると街中は一瞬にして、再び騒音に包まれ生き返り、日本では味わえないこの一瞬の変化をとても面白く感じました。

我が物顔のバイク

バイクが道路に溢れて


フィレンツェ観光

フィレンツェの観光はHop on Hop off のバス(15€)を利用。乗り降り自由の2階建てのバスは各国語で名所を案内、好きな停留所で下車して観光し、再び乗車できるので、旅行者にとって大変便利な人気の観光バスです。
2日間のフィレンツェ観光は楽しく、大変満足しました。ただ残念なことにウフィッィ美術館では、当日券が売り切れでしかも翌日は休館日、これだけは旅行社の実施する効率的なツアーに軍配があがりました。

Hop on Hop off の観光バス

フィレンツェ


サイクリング再開


ピサに戻ってサイクリングを再開したのですが、妻の自転車の変速機の調子が悪く、ギアがうまく働きません。翌日、自転車屋に飛び込み変速機の交換を頼みました。「明日に来てみてくれ、しかし同じ品番の変速機があるかどうか?」と言われ、少し心配でしたが、翌日出かけてみると完全に治っており安心しました。流石、シマノの部品の供給力でした。この会社の製品は世界で85%と圧倒的なシェアーを誇ります。
さて、グロセートで1日休みを取って、街の見物や溜まった洗濯をして過ごし、私たちは再びイタリア半島の真っ青な青空の下、初夏の日差しを受け快適に南下しました。
そして5月17日、ローマのダビンチ空港の傍のゴールのフィウミチーノに到着しました。各地を鉄道で移動したので、走行距離は目標の700㌔を下回って563㌔、丁度、東京から大阪間の距離です。日本ではママチャリにもほとんど乗ったことの無い妻もよく頑張りました。今回の行程は山間部が多く、妻にしんどい思いをさせてしまいましたが、鉄道で旅することも出来て、かえって楽しい思い出が加わりました。

グロセートのセルフクリーニング店で

大型車の多いローマへの主要道


ローマ滞在

間一髪、難を逃れる


5月19日、ローマ。朝の10時過ぎなのに地下鉄の車内はほぼ満員。一人の男が発車前に飛び乗ってきて私のすぐ横に立ちました。次の駅に到着する寸前、手に持っていた軽いジャンパーの下からソーッと手が伸びてきたのに気づき、怪しいと直感、咄嗟に、「ノー」と低い声で威嚇をしました。その途端に電車は駅に到着、ドアがバネのように開き、男はサッと下車し、その上着を抱え、何か、打ち消すように右手を振りながら走り去っていきました。思わず、ズボンの右ポケットに手をやると、閉めていたポケットのチャックが半分開いているではありませんか。もう1秒、威嚇が遅ければ、財布をすられていたに違いありません。間一髪で助かったことに何度も胸をなでおろしたのでした。

チャイニーズ・ストーム

その後、グッチやプラダの店で娘たちへのお土産を買いました。ビジネス・スーツに身を固めたイタリア美人のお姉さんたちの応対はとても洗練されていましたが、そこへ、大勢の中国人客がドタドタッと入ってきて、片手に計算機を持ちながらショーケースから品を片っ端から取り出させて、「これなんぼ?」「あれなんぼ?」と聞いて計算機でガチャガチャ、後は「ぺちゃくちゃ・・・・」と仲間同士大声で中国語で品定め。挙句の果てには何も買わずに次のコーナーへドット移り、店中至る所は中国人の嵐のような買い物風景でした。私たちはあっけにとられ、美人の販売員も流石にうんざり顔でした。

ローマの休日

翌日からは観光です。妻は以前ツアーで来たことが有りますが、私は初めてのローマです。バチカン市国、コロッセオ、美術館、e.t.c 何処へ行っても街中至るところの昔の遺跡に、大勢の観光客が暑い日差しの下、長打の列をなして並んでいる様は少し食傷気味でした。でも、旅行社のツアーと違い、時間を気にせずに街角のジェラテリアのはしごをしたり、足の向くままウインドウショッピングや遺跡を回って、ローマの休日を夫婦二人で心行くまで楽しみました。

ローマコロッセオ

トレビの泉

スペイン広場1

ジェラートを楽しむ


ローマからバーリーそして、トスカーナの一人旅

さて、ローマから先の、ギリシャへの窓口、バーリーまでの行程と、トスカーナのワインの里は、11月3日から12月2日にかけ、単独のサイクリングをしました。
アペニン山脈越えのチボリの街で


イタリア半島横断


イタリア半島の横断には、標高1,000mを超すアペニン山脈の山越えをしなければなりません。車では何でもない坂ですが、荷物を積んだ自転車は30㌔を優に越します。時速6キロの速度でノロノロと息を切らせながら、車の往来の少ないつづら折りの山道を一人登っていきます。せっかくの紅葉の美しいイタリアの秋の景色を楽しむゆとりも全くありません。ホテルやレストランも英語は全く通じず、片言と身振り手振りの意思疎通です。
4日目、アペニン山脈の峠にやっと到達、秋雨の中を一気に下って、285㌔を5日かけてイタリア半島を横断し、美しく明るいアドリア海の港町ペスカーラに着きました。11月9日の朝晩は寒く、部屋には既に暖房が入っていました。

登ってきた道を振り返る

雨の中一気にアペニン山脈を下る

明るいアドリア海のペスカーラ

寒い朝を走る

バーリーの手前では58歳のドイツ人のサイクリストに出会いました。サイクリングのスタイルが似ていて、半日間、並んで話しながらの楽しいサイクリングとなりました。到着後、フェリーでギリシャに渡りイスタンブール迄走るというG氏と別れ、駅近くのホテルヘと向かったのでした。
そして5月に走れなかったトスカーナの丘陵地帯を走るべく、鉄道で自転車共々北上したのです。

ドイツ人サイクリスト と

ハンドメイドの自転車で地中海沿いをサイクリング


トスカーナ、ワインの里を尋ねて


フィレンツェ、グレーヴェ、シエナ、モンタルチーノは有名なトスカーナワインの産地、イタリアで一番来てみたかった憧れの地です。11月21日、身が引き締まる秋冷の曇りの日の朝、フィレンツェを出発。なだらかな丘陵地にはサンジョベーゼ種のワイン畑が広がり、遠くは霞んで紅葉の林と一体になって、柔らかくとても美しい晩秋の風景です。キャンティクラシコを育む秋の風土を肌で感じながら、キャンテイ街道を走ります。トスカーナワインのシンボルマーク、ガッロネロ(黒い鶏)のマークの入ったワイナリーがそこここに点在しています。

キャンテイワインの里

ガッロネロのマークのあるワイナリー

シエナカンポ広場

シエナ農家B&B


ワインの名産地、モンタルチーノへ


シエナからカッシア街道を南に走る事約40㌔、延々と続く急な登坂を這うようにしてやっとの思いでたどり着いたモンタルチーノは、丘の頂上に聳える要塞を中心とした人口5,000人ほどのこじんまりした街でした。1888年、初めて一軒のワイナリーが世に出したブルネッロは、今や200近い数の醸造所に引き継がれ世界的な名声を得ています。街中には、ワインショップが何軒も。そのうちの一軒で話を聞くと、1ダースの価格は360€から、送料は60€そして関税12パーセントを考えると、道中で飛びつく程のことでもなさそうでした。

砦からの街の眺め

モンタルチーノのワイン店

モンタルチーノから下り坂を一気に、5月に来た、グロセート迄走り、イタリアのサイクリングは終了しました。
5月に妻と一緒に走った距離を合わせて、イタリアの旅は1,570㌔のサイクリングになりました。

続く

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