高槻・島本支部の設立当初から支部活動を支えてきた“ビッグ・スリー”の最後に登場願うのは、 
橋本公作さん(S37年法学部卒・現在同窓会高槻・島本支部顧問)

この方もまた、前回登場の石井さんと同じく富田の酒造メーカー会長さんです。
江戸時代から続いている壽酒造の6代目です。
今は長男の“憲治”さんに社長を譲り、楽隠居の身です。


自宅での橋本さん
 
橋本さんと恵子夫人


まずは生い立ちをご紹介

昭和15年(1940年)2月生まれ
富田小学校卒業
私立高槻中学校卒
関西学院高等部卒
昭和37年(1962年)関西学院大学法学部卒業
国分商店(現国分(株))入社
昭和40年(1965年)壽酒造(株)入社
昭和60年(1985年)壽酒造(株)代表取締役社長に就任
平成16年(2004年)壽酒造(株)代表取締役会長に就任

橋本さんは歴史ある富田の造り酒屋の長男として生まれ高槻中学から関学高等部へ進みました。
6時40分ごろ家を出て、阪急富田駅から2回乗り継ぎ甲東園からバスで上が原へ2時間弱(当時)の通学でした。

高等部ではアメリカンフットボール(当時高校ではタッチフットボール)部で活躍していましたが、
3年生の時右足を捻挫し回復が思わしくなかったためアメフトを断念しました。
さぞかし悔しかったことと推察します。

関学大法学部に入学し、部活は将棋部(文化総部将棋部)に入りました。
部員は総勢10名の小さな部で万年Bクラスで強くはなかったが3年生の時Aクラスに昇格しました。
4年生になって部長に選ばれ、腕前も2段になりました。
この時若手プロ棋士の指導を受けることになり部全体の腕前は飛躍的にUPしました。
そのプロ棋士の中に内藤国雄プロ(後年「おゆき」の歌で有名)がおられ、
橋本さんは内藤国雄プロの直弟子ということになります。
将棋部の隣にあった宗教総部にも在籍していました。


関学高等部時代の橋本さん
なかなかの美男子ですね。

結婚以前の写真は富田の本家にあって今のご自宅には1枚もないということで、高等部で同学年だった服部 剛さんの卒業アルバムをお借りしました。
ひょっとしてご家族もはじめてみる?高校時代の橋本さんです。

前列の向かって右から1人目
  

立って発言しているのが橋本さん
    

大学卒業後、国分商店入社当時

結婚式の写真
美男・美女のお似合いカップル

そして、今もラブラブの橋本さんご夫妻
  
経歴の一部
昭和58年 (社)茨木納税協会副会長 就任
平成元年 (社)高槻市観光協会副会長 就任
平成4年  大阪府酒造組合理事長 就任
平成16年 大阪府酒造組合顧問 就任
平成22年 (社)高槻市観光協会相談役 就任
平成23年 大阪府酒造組合顧問 退任
平成25年 茨木納税協会顧問 就任

主な表彰
昭和56年 茨木納税協会長表彰
昭和60年 茨木税務署長表彰
平成13年 日本酒造組合中央会より表彰
平成14年 農林水産大臣表彰
平成15年 産業功労賞受賞
平成16年 藍綬褒章受章
平成25年 大阪国税局長賞受賞

ここで、壽酒造について

大阪北部、摂津富田郷は、醸造に適した地下水と良質な原料米に恵まれ、500年以上も前から大規模な酒造りが行われていた日本最古の名醸地でした。当蔵の創醸は、江戸時代末期の文政5年(1822年)。 当時、酒造りの中心は灘、伏見に移っていましたが、摂津富田郷の酒造りの伝統を守りたいとの信念から酒造りを始め、現在に到っています。

◎日本酒
≪壽酒造酒造りのモットー≫
端麗辛口の酒は造りません。『味わいの深さがあってこそ酒』との想いで、
全国新酒鑑評会での金賞受賞の技術力を元に、『大阪の銘酒』を作るべく、
日々酒造りに精進


独立行政法人酒類総合研究所主催
全国新酒鑑評会において、最近では
平成12、15、23年度と3度の金賞受賞

「あやめさけ蒼雫」が、ロンドン酒チャレンジ2012 に
GOLD MEDAL(金賞)を受賞
国内外で高い評価を受けている銘酒です。


東京農大醸造醸造学科を卒業されたご子息が社長(蔵元)になられてからは、
日本酒造りだけでなく、ビール・焼酎と製造の幅を拡大されました。

◎ビール 
平成6年(1994年)に規制緩和があり60キロリットルまでの小規模なビールの醸造が認められるようになりました。これを待っていた橋本さんの弟さんの橋本良英専務がビール作りを発案。
橋本さんは、船井総研勤務のご子息を会社に呼び戻し、ご子息の現社長は専務とともに試作に取り掛かり、平成6年(1995年)7月に大阪で最初の「地ビール」生産を開始しました。

品質にこだわり価格の高い高級ビールとして発売。美味しいものは高くても売れる。商品価値をアピールする高級地ビールとして今やビール通に人気の商品です。

※昨年の高槻祭りの「当高槻・島本支部の屋台」においても、大人気でした。



◎焼酎
平成18年(2006年)焼酎の生産を開始。
いわゆる米焼酎で「粕取り焼酎」と呼ばれる
大阪でただ一つの「地焼酎」です。

大吟醸の酒粕を再蒸留して造るこの焼酎は、本来カスのお米から造られる米焼酎と比べて上ランクのものだそうです。


◎富田漬け
高槻服部地区の瓜を酒粕に漬けこんだ、
美味しいと評判の
知る人ぞ知る高槻名物です。
(期間限定商品)



◎正起屋(全国展開 焼き鳥チェーン)
大手デパートや繁華街の中心に店舗を構える焼き鳥チェーンを経営。
年二回開かれる國乃長蔵開きでも、大行列ですぐには買えない大人気の焼き鳥で、
美味しくてしかも安いと大評判です。
常任幹事のMさんも常連さんとのことです。


◎高槻名物 國乃長蔵開き

高槻在住の酒飲みは言うに及ばず、遠方から老若男女が集う蔵開きは、
年2回春と秋に毎年開催されます。
ページ下の蔵開きの様子(2013年2月)をご覧ください。
2014年の蔵開きは3月15日(土)に開催予定です。
お楽しみに!


《地元酒蔵W受賞祝賀会》

平成24年 全国新酒鑑評会で金賞受賞(清鶴酒造と共に富田酒ダブル受賞)
平成24年10月18日「地元酒蔵W受賞祝賀会」が開催される。
「この人、この世界」登場(予定)の支部の重鎮 総揃い
左から、橋本顧問、前内名誉支部長、石原副支部長、石井副支部長

壽酒造の詳細は、國乃長ホームページをご覧ください


またまた 橋本さんに戻って・・・

◎趣味は経済
趣味は40歳までは将棋。40歳で社長になってからは、「趣味は経済」に変わったそうです。

取材でお宅を訪問した時も、 橋本さんは終始熱心に、
長年の役所との折衝や業界での活躍、税務の事、政治や金融の事など
経済・経営の話
のことを話しておられました。

話し始めたら終わりなく止まらない。あっという間に2時間が過ぎていました
現在は隠居の身であっても、企業の経営者として辣腕をふるってこられた現役時代のお姿を彷彿とさせると同時に、
今や経済が趣味であることを実感しました。

長年酒造組合で組合長をされていて、他の業界や官僚や政治家との交流で視野が広がったことや、
今の企業のトップに求められる資質は、海外経験を積み全体を見渡せることである、さらには、
事業継承の話などを聞かせていただきました。
この時、「鉄は熱いうちに打て」と言われたことは、後ほどご長男のお話を伺って
まさに納得!いたしました。

◎ご夫婦で旅行
橋本夫妻は当高槻・島本支部の海外旅行の常連さん、いわばお得意さんです。
体が大きいのでエコノミーの席には入りきらずビジネスシートになり割高となります。もちろん個人負担。
2009年の南ドイツ・フライブルク、2011年のオーストラリア・ケアンズなどほぼ皆勤です。

支部の海外旅行

2009年 南ドイツ・フライブルク
2011年のオーストラリア・ケアンズ

    
ボリジーニーのように、全員顔に入れ墨?

海外旅行だけでなく、支部のバスツアーなど国内旅行にもご夫婦でほぼ皆勤です。

若狭梅丈岳の「恋人の聖地」で
永遠の愛を誓うお二人

今年も最近ヨーロッパ旅行を楽しまれました。
いつもぴったりと寄り添って本当に仲のいいご夫婦です。


父を思う--- ご長男 橋本憲治さん談

九月の初旬、会社の事務所でインタビューをさせていただきました。

「お父さんをどう思いますか」という質問です。突然の問いかけに対して

父というより「父を含めた先祖に対して大きな感謝をしています」との答えが返ってきた。
ウーンこれはどう解釈したらいいのだ。
インタビューアーが戸惑っているうちに話はどんどん進んでいった。

自分は今、七代目を受け持ったが
創業以来190年間で自社としては新商品に当たる地ビールや焼酎を作り出すチャンスをお父さんをはじめご先祖が与えてくれた事をありがたく思うという意味でした。

やっぱりサラリーマンの息子とはちょっとちがうな~という印象を持ちました。

ご長男で社長の憲治さん

金賞受賞パーティーで

そこでまた質問を変え
「お父さんは厳しいですか」。これに対してはきっちり答えが返ってきました。
「厳しいことと、そうでないむしろ放任みたいなところがある」
あまりよく理解できなかったので
「どこが厳しくてどこがほったらかしなの」と聞きました。

答えははっきりしていて、7代目を継ぐための準備についてはやかましかった。
高中・高高(たかこう)から東京農業大学の醸造科を受験させたこと、
卒業後、前内名誉支部長の紹介で船井総研に就職
そこで経済の成り立ちと、経営をしっかり勉強させたことを言っているのだということが分かった。
15分間の予定が1時間にも及んだが、
かくも見事な「帝王学」をさづけたお父さんに拍手を送りたい思いで一杯です。

橋本さんから引き継いだ子息の積極経営で、多くのファンを獲得されている。
大変優秀な方で、橋本さんは会社経営を任せて何の心配も感じておられないようにお見受けしました。


内助の功

原稿の段階で橋本さんを良く知っている(理解している)人に見てもらったらひとつだけ抜けているという。
それは「内助の功」、あの丸い体の横か後ろに恵子奥様の姿が必ずあるという。
特に体調を気にかけなければいけないこの十数年は、
病院通いから、たかつき京都ホテル最上階のプールまで恵子奥様の運転でその助手席に堂々と座っておられる。
恵子奥様はやや大柄でいつもニコニコ、声はハスキー。どこにいても存在感はある
バランス感覚十分な「ご夫妻」である。

支部の行事にはほぼ皆勤で、場の雰囲気がパット明るくなる仲良し4人組みです。
左側の写真、左から前内名誉支部長夫人、その友人の三好さん、石原副支部長夫人、そして橋本夫人です。
支部では、ほかにも、梅澤夫人、石川支部長夫人、阪口夫人などは、みんな奥さま達がとても仲良くされています。

ご主人の同窓会に楽しく参加して、このように奥さまどうし仲良くなるって、これも素晴らしい内助の功です。

インタビューでご自宅にお邪魔したときは、2時間以上もの長い間お邪魔して、その間、橋本さんのことはもっぱら恵子夫人から聞くことになりました。

センスがよくて居心地のいいご自宅、日本茶、紅茶、冷たいお茶にお手製のとてもおいしいチーズケーキまで頂き、
まさに「お も て な し」の心をお持ちの方だと感心しました。

社交的なだけでなく、家庭の中では主婦として家事もきちんとされているとてもいい奥様に愛されて
橋本さんはお幸せだとつくづく感じたインタビューでした。
それは、とりもなおさず橋本さんに素晴らしい魅力があるということだと思います。

自宅訪問取材     廣原 祥隆(S36年法卒)
                         渋谷 孝 (S44年商卒)
                          伊木 幸子(S47年文卒)


≪國乃長の 蔵 開 き≫
毎年2月と9月の行われる國乃長の蔵開きには、
高槻市内に限らず遠方からも約2,000人程の人が来場され、工場や倉庫が人であふれかえる賑わいです。

酒飲みだけでなく老若男女が集いまるでお祭りのような雰囲気です。

店の入り口でお客さんは金券を購入し、その券でお酒、ビール、焼酎そして焼き鳥、
焼きそば、たこ焼き、おでんなど買って、立ったまま、片手にお酒、片手につまみを持ち、楽しく歓談して大変にぎわっていました。




蔵の中も大混雑
  

大行列ができる「正起屋」焼き鳥
   

ご長男の社長ご夫妻   
産直野菜も販売
ママ友と一緒にランチならぬ立ち飲み、お伴の子供達はピクニック気分 
普通の人は道端で立ち飲み。中には折りたたみ椅子を持ってくる人もいます。

橋本さんと藤田さん
   同窓生は立ち飲みではなく倉庫の2階に特別席が用意されて大宴会
現在のお住まいとは別に、蔵の横にある広く手入れの行き届いたお庭のある立派な橋本さんの生家
2月の蔵開きには、これまた立派なお雛様がいつも飾られています。
2013年2月の蔵開き風景

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写真・文: 石川  宏 (S35年経卒)
廣原 祥隆(S35年法卒)
 伊木 幸子(S47年文卒)

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